矢嶋建築について

文章はダミーです

文章はダミーです。私、矢嶋一也は中野市で小さな小さな工務店を営んでおり建築大工として現場に出て、そして建築士として設計事務所を併設してます。私は祖父・父より引き継いで3代目の大工・工務店です。
父から見ると私はなかなか反発心の強い息子でして、父への反抗心で長野工業⾼校に行くも学科は工業化学科、社会人一年目は長野市にある機械加工の会社。お客様の顔が見えない仕事に違和感を感じ、家業の大工を志事にと決め、この建設業界には24歳で入職しました。

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20年くらい前までは年間3棟から5棟の新築。社員大工さん3名位、Max5名で現場の切盛りしていました。元請あり、下請けあり現場が2か所、3か所とあの頃はいい時代でした。その後から少しずつ着工件数が減り、大工さんも自然に減りはじめました。
これから、どうしていけばいい?手間請じゃ親会社のやり方で工事しないといけない。時々出てくる我の強い私は、親会社の監督さんとぶつかる事もちょいちょい。自分はこの業界で何とか一般のお客様と一緒に家づくりをしていきたい。そんな思いもあって、色々な工法を調べた末、長野県発祥のWB-HOUSE に自分の未来を託しました。でも、WB-HOUSEをうたってる会社はこの北信に沢山ある、それだけじゃ生き残れない。なんか考えないと・・・

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そんな時、当時の福田官房長官が言った『200年住宅ビジョン』をニュースで観ました。私は、いいじゃん!って思いました。日本の住宅の平均寿命って30~40年って短くないか?と思っていた私は、内容もよく理解もせずに直観的に、『これからの日本の住宅はこれだ!』と。こんなところが長期優良住宅に向けての出発点でした。
そのころは、今から思いおこせば、断熱材はこの地域の主流の10Kのグラスウール(以下GW)を16KのGWに変え始めたくらいのスキルしかありませんでした。建築基準法をクリアしているからいいでしょくらい。フラット35って言ったって10KのGW入れとけば特に問題もなかったくらいの時代。

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そんな時、当時の福田官房長官が言った『200年住宅ビジョン』をニュースで観ました。私は、いいじゃん!って思いました。日本の住宅の平均寿命って30~40年って短くないか?と思っていた私は、内容もよく理解もせずに直観的に、『これからの日本の住宅はこれだ!』と。こんなところが長期優良住宅に向けての出発点でした。
そのころは、今から思いおこせば、断熱材はこの地域の主流の10Kのグラスウール(以下GW)を16KのGWに変え始めたくらいのスキルしかありませんでした。建築基準法をクリアしているからいいでしょくらい。フラット35って言ったって10KのGW入れとけば特に問題もなかったくらいの時代。

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こんにちは、宮崎です! 今回は矢嶋建築いちおしのピクニックルームの魅力をたーっぷりご紹介します♡ 【ピクニックルームとは?】 矢嶋建築事務所にある、旧セミナールームのこと。 以前はこちらでイベントやセミナーを開催していま

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